Current Location: Home » Full Text Search
Your search : [ author:構成 金田直次郎え 余陳] Total 83 Search Results,Processed in 0.087 second(s)
-
1. 最新北京ホテル情報
さながら雨後のタケノコのように建ち並びはじめた高層ホテル群。アジア大会選手村のある「安立路」を南下して「安貞橋」(安貞立体交差)から第三環状道路に入り、進路を東にとると、北京発展大廈、東方芸術大廈、崑崙飯店、長城飯店、兆竜飯店、京広新世界飯店、国際貿易センター(中国大飯店)、……環状道路のグリーンベルト越しに、右にも左にも、まあたらしい“のっぽビル”が建ち並んでいるのです。北京のホテル地図は、この
Author: 構成 金田直次郎 え 余陳 Year 1990 Issue 9 PDF HTML
-
2. 南国風情②柳州
唐宋八大家のひとりで、韓愈と並び称される唐代の名文家·柳宗元の終焉の地が、ここ柳州。唐代には僻遠の地とされ、政治改革に失敗した柳宗元は、湖南の永州へ、さらには柳州へと流され、生涯の最後の三年間を、柳州刺史(地方長官)として送ったのでした。嶺樹は重なりて千里の目をさえぎり江流は曲がりて九廻の腸に似たり柳宗元は、柳州の地勢をこう詠(うた)っています。―カルスト地形の奇岩怪石が、街を囲むようにそそりたち
Author: 取材·構成 金田直次郎 え·劉偉 Year 1990 Issue 4 PDF HTML
-
3. 広西 南国風情 ③桂林
桂林山水甲天下旅遊客人睡地上けっして冗談ではなく、ほんの四、五年前までは、あこがれの桂林にやってきたものの、泊るに泊れないホテル不足、それでベッドが空くまで、ロビーでごろ寝というそんな場景があったものでした。それで、「桂林の山水は天下に甲たり、旅行のお客は床(ゆか)に寝たり」という対句が、ため息まじりに交されもしたのです。様相は、すっかり改まりました。外国資本を導入した現代的なホテルが、それこそ雨
Author: 取材·構成 金田直次郎 え 劉偉 Year 1990 Issue 5 PDF HTML
-
4. 広西 南国風情 ④灕江
灕江夢―さながら夢のようにも繰りひろげられる大自然のパノラマ。一面の霧に見え隠れする峰々を初めて航空撮影でフィルムにおさめた久保田博二さんは、
Author: 取材·構成 金田直次郎 え 劉偉 Year 1990 Issue 6 PDF HTML
-
5. 広西 南国風情⑤陽朔
灕江下りの終点が陽朔(ようさく)。遊覧船は、碧蓮峰(へきれんほう)山下の埠頭に旅客を降ろすと、空(から)のままで竹江埠頭に戻ります。旅のおわりの遊覧船浮きつつ遠くなりにけるかも灕江の青い水に白い航跡を残して遠ざかる遊覧船を眺めながら、旅情にひたるのが筋なのですが、パック旅行の強行軍は、そんなあなたの夢を破って、先へ先へとすすめられてしまうのです。あわただしく買い物、せかされて帰りのバスへ。陸路桂林
Author: 取材·構成 金田直次郎 え 劉偉 Year 1990 Issue 7 PDF HTML
-
6. 雍和宮 孔廟 国子監
旧北京城内に古都のおもかげを色こく残す一角があります。半日のフリータイムをあてて、ぜひ訪れてほしいところ。雍和宮(ようわ)―孔廟(こうびよう)―国子監(こくしかん)。地下鉄(環状線)の「雍和宮駅」が、ちょうど雍和宮の地下。地上に出て、雍和宮大街を下ると、きらびやかな牌楼(パイロウ)が立つ“正面入口”へ。奥の深いこの北京最大のラマ寺は、「文化大革命」期の破壊からも免れ、往時のままに、その偉容を誇って
Author: 構成 李雪琴 え 余陳 Year 1989 Issue 12 PDF HTML
-
7. 夏のリゾート 承徳
夏の訪れとともに、北京市民の間で話題になるのが、山間の承徳、海辺の北戴河の二大避暑地です。さしずめ、軽井沢、湘南海岸といったところでしょうか。承徳は、北京から東北方角に約二五〇キロ。列車、遊覧バス、ともに五時間ほど。内蒙古高原と華北平原の境にひろがる山地の中にひらけた風光明媚なリゾート地帯で、広大な離宮の造営がはじまったのは、清の康熙(こうき)四十年(一七〇一)から。清朝は、辺境守備のために大規模
Author: 構成 邱南英 え 余陳 Year 1990 Issue 8 PDF HTML
-
8. 「一帯一路」の一端を担う天津
Author: 陳克=構成 Year 2016 Issue 7 PDF HTML
-
9. 詩·書·画·印に通じ自在に表現
Author: 徐麗娜=構成 Year 2016 Issue 4 PDF HTML
-
10. 北京新しい魅力
世界最大の広場に臨んで建つ天安門。一九四九年十月一日、毛沢東主席が、この天安門の楼上から、中華人民共和国の成立を宣言したことは、余りにも有名です。新中国のシンボルとなった天安門は、明代、清代をつうじて、皇城の正門でした。北京城は、内城と外城に分けられ、内城の中央南部に皇城が、皇城の中に紫禁城が位置します。天安門の南、広場をはさんでとおく天安門とあい対するのが正陽門。内城の正門にあたります。俗称は前
Author: 構成·え 魯忠民 Year 1990 Issue 2 PDF HTML